■1995年春…
中標津町の方々とのご縁のおかげで、嬉しいニュースが飛び込んできた。
従前は、禁止されていた河川でのサケ(シロザケ〔チャムサーモン〕+カラフトマス〔ピンクサーモン〕)釣りが、当初のこの年の時点では、中標津町の北東の隣町、標津町を流れる忠類川に限って、一定のルールの元に解禁されるという話だった。
それまで、10年ほどあったブランクの前には、ほぼ毎年のように、箱根芦ノ湖の3月1日の解禁日に、ニジマスにチャレンジはしてきたが、サケとなると「魚の格」がまるで違う。
家内やその業界の知人たちの日程に合わせて、参加させていただくことにした。
■もっとも…
困ったことに、前年4月から、かなりスケジュール的にタイトな3年間の仕事を引き受けてしまっていて、実際は、そのスケジュールで現地に行けるかどうか、確率50%程度の状態だったのだが、こんなチャンスを逃がす訳にはゆかない。
幸いにして、いわば「居候参加」なので、現地での宿泊場所についてはある程度融通が効くこともあって、キャンセル料覚悟で航空券を確保した。
■もう一つの…
不安は、フィッシング・タックルつまり釣り道具である。
当然ながら、サケを釣ることを想定した道具など持っている道理がなく(そもそも、どれほど強力なものが要るのか見当もつかない)、基本的には渓流での体長20センチ程度の魚に対応するものが主力だったし、手持ちの中で一番強力なものでも、先に書いたような、芦ノ湖でのせいぜい体長50センチ位のニジマスにはほぼ対応できた、という程度のものしか持ち合わせていなかったのである。
■そんな中…
我国初の試みなので、テレビ番組でも、この忠類川のサケ釣りが採り上げられるようになり、中でも、釣具チェーン店の上州屋提供の「千夜釣行」という番組では、調査開始後比較的早い時期に、30分番組のほぼ全編近く、たしか現在の同社の社長さんがチャレンジする模様を、かなり力を入れて取材した映像が放映されていたのだが、これが、期待以上に参考になった。
■その結果…
・リール*は
*思い出しました。「千夜釣行」に登場したのは、考えてみれば当然ながら「シルスター ピナクルビジョン」
手持ちの、スウェーデンのABU社の1977年製のアンバサダー5600C*で十分すぎる位対応可能。
*一昨年亡くなった、当方を釣りの世界に引き込んだA君が、出張先の香港で購入してきたもの(この香港のお店には、後日A君に連れられて自身でも行って、ABUのフライリール、ディプロマート156〔初期型の、表面がアルミ色のもの〕を購入した)。
このときベイトロッドは持っていなかったので、当時有楽町駅構内にあった釣具店「太陽」*で、下記のブローニング312910を調達した。
*このお店
の前身の由
余談ながら、当時は、東京駅前〔大阪駅前のではありません〕の建替え前の丸ビルの地下1階にも釣具屋さん**があった時代である。
**閉店時に、ミッチェル408、410、ガルシアのスピニングロッド2700を売っていただいた(残念ながら、408はもともとスペア用だったこともあるが未だにほとんど使っていない)。お店の名前は憶えていなかったが、どうやら、丸ビルゴルフ釣具店(代表者佐野直次郎)というらしい(https://www.nenkin.go.jp/service/nenkinkiroku/torikumi/mitougou/tokyo.files/JigyousyoIchiran_2131_201209.pdf)。
ライン(糸)は、そのとき5600C用にセットしていた芦ノ湖用2種のうち、強力な方の12ポンド(5.4Kg)テストのまま。歯がたたなさそうなら現地調達すればよい。
・ロッドは
全長6フィート〔1.8m〕*と、やや短かすぎるという不安があるが、これまた芦ノ湖用のアメリカのブローニング社の312910**で「何とかなるかもしれない」し「やって見る価値はありそう」ということが分かった。
* ジムこと村田基氏の
によれば、この312910が作られた1970年代には、この長さは、バス用としては最長だった由。
河口湖でバス用に使ったのは、適材適所だったことになる。
** このロッド
によれば、1974年に、当時、我国における代理店だった、オリムピック社の別注によって輸入開始したらしい。
もっと強力なものを、と思っても、今なら、東京湾で使うシーバス〔スズキ〕用のものを代用品としていくらでも入手できそうだが、当時の東京では短期間での調達は無理。下手にあせってオーバースペックなものになってしまっては、スポーツ・フィッシングの範疇を逸脱しかねず愚かである。
■この番組…
何よりも有難かったのは、水中撮影の映像によって、ルアー(スプーン)の動きがわかったことである。
大別して3タイプ(現在では、もう一つ「ワーム」というタイプが主流の一つだが、当時はまだ、一種の「際モノ」だったし、今でも大嫌いなタイプなので*、ここでは無視する)あるルアーの内、回転翼を持つスピナーと小魚を模したプラグについては、芦ノ湖などでの経験上、水中でどう動くのかの見当はある程度ついていたが、見ようによっては、ただの金属製のヘラに過ぎないスプーンの動きはそれまで全くイメージできていなかったからである。
*「ああ、やっぱり」でした。自分の感性が正しかったことを確認できた
忠類川の流速がかなり速いせいもあるが、後部を盛大に上下左右にくねくねと捻じるように振って「泳ぐ」スプーンの水中での映像を見て「これなら魚は興味を持って食いついてくるだろう」との、確信をある程度得ることができた。
■幸い…
1週間ほど前まで、残念ながら航空券をキャンセルするほかない状態だったのだが、いわば奇跡的に仕事のスケジュールが空き、先のリールとロッド、それに手持ちの中の重めのスプーン(と、いってもせいぜい1/2オンスだったろう)を持って、9月22日、無事根室中標津空港に辿りついた。
一行全員が、現地のいわば「元締」の、故Y氏に連れられていった佐々木銃砲釣具店で、情報収集とお奨めルアーの調達。
聞けば、手持ちのせいぜい1/2オンス(約14グラム)程度のルアーでは、流速が早いため浮き上がってしまうらしいとのことで、3/4オンス(約21グラム)や1オンス(約28グラム)の、赤金、赤銀などのスプーンを調達した(数年後には、忠類川に特化したルアーも売られるようになったが、当時は汎用品)。
■翌朝…
未明に宿泊先の旅館を出て、忠類川に向かい、かつてのサケマス孵化場近くの管理棟で、ライセンスカードを見せて、参加登録をしたうえ、川に入る。
平成25年の、事前申込をして受け取っておくライセンスカード(上) と当日参加費を支払って受け取る採捕従事者カード |
全く土地観がないのだから、コネコネ考えても無駄なので、手近な「それらしい」場所を見つけて、川の観察。
釣りを始めた初期に行った、天龍川支流での経験が「やや大きな川」の解釈に多少の役にはたったとはいえ、内地の川の概念では追いつかない自然河川そのもので、いわば「ほとんどウィルダネス」。
【資料映像】
手前は「手付かず」で残る、摩周などの噴出物 @2005 |
その後、この年の結果に味を占めて、その後も、まずは同じ場所から川に入ることも多かったのだが、行くたびに、川の流れはもちろん、両岸の景色すら呆れるほど変わる。
■気を…
落ちつけて、川面をみると、約45度ほど斜め下流の対岸から1メートルほど手前の水中に岩(伏石)があるのがわかった。
セオリー通りなら、そのすぐ下流に魚がいるはずなので、そこを目指して第1投となった。
■驚いたのは…
ほぼ10年のブランク後なのに、ルアーがちゃんと飛んで、しかも、目標の位置に落とすことができたことだった。
かつての、芦ノ湖では、ルアーは思いどおりに飛んでくれず、それどころか、往々にして、バックラッシュといって糸がリールに絡まってしまうこともしばしばで、それを直している時間の方が、釣りをしている時間よりも長いのではないか、という状態で(いきおい、スピニング・リールのミッチェル408とブローニングのパックロッド332914を多用することになったし、とんでもないサイズがヒットしたこともなかったので、それで十分だった)、とても、サミングという、リールから繰り出されてゆく糸を親指で押さえてルアーの飛距離を調整する余裕などほとんどなかった。
それが、ここでは、数十メートル下流に向かってルアーが勢いよく飛んでくれるし、ルアーが飛んでいる時間が長い分、サミングで距離を調整することもできたのである。
何だか、突然釣りがうまくなったように錯覚したのだが、よくよく考えてみると当たり前の出来事で、ルアーの重さは、芦ノ湖のときの倍かそれ以上。そのために、リールの性能とその設定、ライン(糸。当時主流だったデュポン社のナイロン製のストレーンの12ポンド〔日本式の表現では3号〕)と、ルアーの重さとのバランスがうまく取れただけの話だったのである* 。
* 丸型アンバサダーリールを使う理由【でんでんまるQ&A第四回】
https://www.youtube.com/watch?v=D7Z-YfOlAm0
の、8分36秒以降の
「太い糸を使って、ある程度以上のもの重さのもの投げると(現代の最新のリールと比べても)一番飛」ぶ
とのお話、まさに実感である。
いずれにせよ、これを機に、このリールに対する苦手意識というか、バックラッシュに対する不安が一気に解消した。
■そして…
第2投も、先ほどの伏石の下流1メートルほどの位置に、ルアーが落ちてくれた。
リールを巻き始めると、突然「ズン、ブルブルブル」という、芦ノ湖のニジマスとか河口湖のブラックバスではおよそ味わったことのない反応があった。
■実は…
大変だったのは、それから。
まさか、2投目で「釣れちゃう」という状態は全く想定外だったので、ドラグという魚が糸を引き出そうとする力に抵抗する装置は10年前の設定のまま。
幸運にも、多少は効くように設定したあったようで(糸が速く出過ぎないように設定するメカニカル・ブレーキも同様)、魚に糸を引き出される状態ではなかったが、さりとて、ハンドルを回しても魚を引き寄せることができない。
ドラグを強める必要があるが、下手に一気に強めると、糸が切れるか、最悪ロッドが折れてしまいかねないので、徐々に強めて、少しドラグが滑りながらも、ある程度糸を巻き上げられる状態にセットした。
【追記】
今更ながら、ドラグの設定について「長老」のノウハウが、YouTubeにあった
とくに、後半の「プレッシャーのかけ方」は「なるほど納得」
なお、スピニングリールについては、こちら
この、長老のお一人である、ヒロ内藤氏、超の付く理科系頭の方のようです。したがって「この方のいうことを聞いていれば」、ベストといえるかは別として、少なくとも「大間違いはあり得ない」。
は、その典型。
タックルのバランスのとり方は、全ての釣りに共通のはずで、乏しいとはいえ、当方の経験値とも結構一致している部分も多いし…)
しかしそうなると、ロッドに加わるストレスは増加するので、リールをロッドに固定しているリールシートの部分からギリギリという音が出始めた。
それまで、雑誌の記事では、リールシートが「鳴る」とか「啼く」という表現を目にしていたのだが「なるほど、こういうことか」と初めて納得した。
冷静に後から考えてみると、リールシートの構造上、この程度のことでは、リールがロッドから外れることはまずないので、放っておいてもよかったのだが、あの音は確かに恐怖感をそそる。
あらためて、リールを固定するスクリューを締め込むことで、ようやく、ランディングつまり取り込みをどうするか考える余裕が生まれた。
■今から…
思うと、それほど時間はかかっていないのではないかと思うが、先のリールの設定のまま、徐々に岸に引き寄せ、ネットを持っていなかったので(と、言っても、東京から芦ノ湖用のを持っていったとしても「入らない」)、ダメモトで一気にやや段差のある岸に引きあけた。
引きあげてみると、イクラたっぷりのシロザケのメス。
My 1st. salmon @ 1995/09/23 65cm 2.88Kg by Browning 332910 + ABU 5600C + Dupont Stren 12 lb. test |
一方は、これまで、河口付近の海岸での岸釣りをしていた地元の方々のようで、3メートルほどの振り出し竿に、ベイト、スピニングを問わずかなり強力なリールを装備している人たち(エサは、あらかた赤く染めたイカかサンマのぶつ切り)。
もう一方は、近くの渓流での、ヤマベ(ヤマメ)とか、オショロコマとか、大きくてもアメマスのためのライトクラスのルアー用タックルをそのまま持ち込んできた人たち。
それ以下だと、シロザケがかかると、手もなく折れてしまったのだろう(カラフトマスでも、ルアーが口にかかってくれたのなら、ドラグがきちんと機能してくれれば何とか対応できるように思えるが、翌年起こったように、密集している彼らの真ん中にルアーが落ちてしまって、背びれにかかるともう大変。あまり走り回らせると近所迷惑なので、うまく背びれかラインのどちらかが切れてくれるならよいのだが、最後は、ロッドを折らないためにもラインを切るしかなくなる。第一、背がかりしたのをランディングできても、ただの「引っかけ釣り」なので、うれしくもなんともないし。)
河原でのロッドの死屍累々は、その後数年間は続いていた。
■余談1.5
このブログをまとめながら、思だしたことを2つほど
●食材としては…
先に書いたと思うが、川を遡上してきたシロザケは、後記の「余談5」のデニスさんの釣り上げたメータークラスは別論(川で釣ったサケは、現地ではカラフトマスは当然としてシロザケでも誰も食べないのだが、その晩泊った旅館で「これなら食えます」と調理して下さったが、確かに食べるに値する味だった)として、「味」という面では、河口の沖合で、多分小魚をエサをエサにしながら遡上のチャンスを伺っているのを沖獲りしたサケにかなうはずがない。
実際、川で釣ったカラフトマスは、地元の人たちは「ホッチャレ」と呼んでいたし(多分、今でも)、当方の釣ったメスのシロザケも、地元のスーパーで見たら、ほぼ同サイズでイクラたっぷりのが、1350円だった(当時は、標津漁港に上がる沖獲りのサケは、最近の1/3程度の価格で買えた)。
●このとき…
家内は釣果ゼロ。
よほど口惜しかったようで、時折、夜寝ていてもうなされる始末。
結局、釣獲調査期間ぎりぎりの11月末近くに、いわゆる「単騎」で、忠類川に再挑戦となった。
当然ながら、地元の方々のサポートのお蔭のようで、なんとかヒットできたらしく(シロかカラフトかは聞き洩らしたか、聞いたとしても記憶にない)、おかげで、次シーズンまでの「家庭内の平和」は、保たれた。
■余談2
95年は2投目でヒットだったが、翌96年は
「ファースト・キャスト、ファースト・ヒット」
となった。
前年よりやや上流から川に入ると、相当早朝から入ったような人たちが、両岸ともノーヒットらしく、河原に座り込んで休息中。
お二人の間の川の中央部に伏石が見えた。中央といっても物理的にそうなだけで、流心は下流に向かって左側にあった。
そうなると、条件的には、前年と線対称なだけで同じ「瀬脇の伏石」で、普通ならその直下に魚がいないわけない。
お二人とも、当分立ち上がりそうもない雰囲気なので、ちょっと失礼して伏石の直下にルアーを落としたら、あつらえたように、50センチ弱のカラフトのオスがヒットしてくれた。
ランディングしてポイントを見返してみたら、両岸のお二人、「あっ、いるんだ」と、あわてて、キャストを繰り返し出していた。
その数年後に観察していてわかったのだが*、そんなに慌てなくても、釣りあげて5分もしないうちに、次に遡上してきたのが同じ場所に付くのだけれど、見ていても、なかなかヒットする様子がない。
後知恵というか岡目八目ではあるが、こちらは、遠距離から伏石越しに山なりにキャストした1オンス(28g)だったか3/4オンス(21g)のルアーがほぼ垂直に着水して水中に沈んだのに対し、軽いルアーを近距離からキャストしていたので、おそらく魚のいる深度までルアーが届いていなかったのではないかと思う。
*当時は、今とちがってリリース禁止、バックリミット5匹という時代で、この日は、すでに4匹カラフトがヒットしてしまっていたので、慎重にシロザケのポイントを探す必要があって、逆に、川をゆっくりと観察するゆとりがあった
■余談3
1998年9月27日。この年は比較的順調で、早々にシロ、カラフトが1匹ずつヒットして、立ちこんでいるフライの人たち(下の写真参照。ただし、今では、ここまでウェーディングすると釣れないというのが、この川の常識になっている)を眺めていると、通りかかった若い方から声を掛けられた。
北海道新聞(道新)の記者さんで、同社が発行している「釣り新聞ほっかいどう」の取材の由。
東京から毎年来ている、などと話し込んでいると、折よく、上流から家内が下ってきて、そちらも、シロ、カラフトを1匹ずつ提げている(その前年、それまで、ロッドは地元の人からの借り物だったのだが、アメリカのキャベラスから、フライロッドで有名だったG・ルーミスのスピニング・ロッド*を、また、確かこの年には上州屋の折り込み広告で見つけた、復刻発売されたABUのカーディナル44**を入手していたのが、功を奏した模様)。
* G・ルーミスといっても、何百ドルもするフライロッドとちがって、こちらは百何十ドルとリーズナブルだった
** オリムピック釣具社による定価表示は25,000円(通常なら20%引きで売価20,000円位)のところ、15,000円のバーゲンプライス
このカーディナル44に納まるまでには紆余曲折があって、当初は、ロッドは地元の方からお借りし、リールは手持ちのミッチェル410を使っていた。
。
しかし、家内はミッチェルが重すぎるという。
そのため、環七の上馬の交差点近くのサンゴ堂という釣具屋さんに適当なリールがないかと探しに行ったところ、ABUのカーディナル1052?があった。スペック的には410とほぼ同等で「ポルシェデザイン」なのが魅力的なのだが、残念なことに当方にとっても「重い」。
結局、ポルシェデザイン+ABUというブランドを採るか、軽さを採るかで、小一時間迷った末、軽さ優先でダイワの樹脂ボディの物を調達した。
しかし、このダイワのリール。1シーズも経ないうちに、樹脂の中の鬆〔す〕のせいであえなく壊れてしまった。
たとえ、メーカーさんに新品と交換してもらったとしても、もう使う気にならない。
やはり、なにか「もっと、ちゃんとしたものを」という矢先に見たのが、あの上州屋の折り込み広告だったわけである。
とはいえ、このカーディナル44も、ノントラブルではなく、2シーズン目にベイルアームの支持部が壊れたので、パーツを取り寄せて修理したのだが、修理後はノントラブル(同時期の復刻版のカーディナル33はこの部分のトラブルで有名らしいが、44も含め、何らかの対策が施されてたようである)。
実は、カタログスペック上は、410が320グラム、44が310グラムなので大差ないのだが、実際にロッドにつけてみると、はるかに44の方が軽く感じる。
復刻版とはいえ名機といえば名機なので、あのとき1052?を買わなかったのが、正解といえるだろう(改めて調べてみると1252?は、重さも350グラムと論外だった)。
撮ってもらった写真が掲載された10月7日号は、地元のいわば「元締」の故・Yさん*から送っていただいた。
* この記事が出た後、先の佐々木銃砲釣具店の先代のご主人から「これ、Yさんと来てた夫婦ですよね」と言われたそうで、その話を聞いて「どうしん」の訴求力を実感した。
三木田久史記者@北海道新聞社・撮影 こうやって、改めて、4分の1世紀近く前の自分たちの姿を見ると、両名とも「加齢」を実感する。 |
しかし、当方夫婦は、ABU固執で、このときも、その後も
*リリース不可の時代では、どう考えても、とりわけカラフトのオスは、どこかに捨てるしか始末のしようがなく、根室中標津空港や女満別空港のゴミ箱には魚の山ができたのではなかろうか、標津町や中標津町に宿泊しても、結局、これらの町の生ゴミになってしまうので、空港や町の当局から相当クレームが寄せられたのではないかと想像している。
いずれにしても、内地とは大違いで、「魚がいるはずのところに、魚がいる」状態なので、少なくとも「何かは釣れて当たり前」。当初の数年間はベスト・スコアのシロは写真で記録していたのだが、それもそのうち、張り合いがなくなって、沙汰止み。
199609? |
199709? |
■余談6
釣獲調査開始から、数年後だと思うが(海釣り系からの影響と思うが)「タコベイト」なるものが、忠類川で大流行した。
要するに、バス釣り用の「スピナーベイト」下部のベイト部分を大きく真っ赤にしたようなもので、それを、主にスプーンの先に付けるわけで、ルアーとしてのエレガントさに欠けることこの上ない。
家内は、地元の方々のお奨めに従って付けていたが、当方は「絶対に嫌」なので、フライに移行するまで付けたことはなかった。
*未だに付ける人が結構多いらしいhttp://www.salmon.jp/%E9%87%A3%E8%A1%8C%E6%83%85%E5%A0%B1/how2catch/lure_tackle
サケがいて「当たり前」の川なのだから、釣れればよいわけでなく、
- 思い通りのポイントに
- 思い通りにルーアーを投入して
- 思い通りにヒットして
初めて楽しめるタイプの釣りなののだから
(エサ釣り方々の、紅染めのイカのほうがまだ「清々しい」と思う)。
結局、難易度を上げるべく、2000年ごろからタックルだけは調達していた、フライ・フィッシングに移行した。
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